最近、ふと思うことがあります。
「私は、何を撮ろうとしているのだろう...。」
何かに急かされるように撮ることもあれば、何となく撮ることもある。
このブログのサブタイトルには、「いつも見る景色...」とつけている。
何気ない日常、ふと見過ごしてしまいがちなもの、そんな感じのものをカメラのファインダーを通して、写真という媒体、それもデジタルではなくフィルムを通してあらためて見てみたい。そんな気持ちではじめてみたはず。
気がつくと、「撮る」ということが主体となって、「見る」ということがおざなりになっている感じがする。
主体は「見る」ことだったはず。
「いつも見る景色...」
最近、撮れているだろうか...。見ているのだろうか...。
明日からは、「見ること」を主体に「撮って」いきたい。
でもまぁ、私はプロではないし、ジャーナリストでもない。たいそうなゴタクを並べても詮ないことですね。(苦笑)
2 件のコメント:
プロでもアマチュアでも陥る煩悶ですね。私も何度か堂々巡りしました。まあ、金も命もかかっていないから、純粋な知的遊びとして楽しむ、私の見たものを淡々と記録するってところに落ち着きました。
写す動機が「このカメラのシャッターを押したい」でも「これはどんな写りをするのか」でも良いんじゃないですか。社会正義のためでも、家族の成長の記念でも、とにかくその情景は一度だけです。写さないと残りません。
>kanさん
「写さないと残らない」よい言葉ですね。元来、余計なところまで考えてしまうたちなので、もう少し気楽にいこうと思います。(笑)
商売ではなく、「遊び」ですから、純粋に楽しむことがよいのでしょうね。
コメント有難うございました。
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